表現の自由って一体何?-公務員試験憲法を分かりやすく
最近よく憲法の授業の時に「表現の自由」って用語が出てくるのですが、あまりよく理解できていません…。「自分の言いたいことを自由に言える自由」なのは理解しているのですが、そんな簡単なものではないような感じなので、頭がこんがらがってきました…。
確かに公務員試験の憲法科目の「基本的人権」の中でも多くのページが割かれる部分だし、経済的自由など他の基本的人権と大きく関わってくる分野だから、意外と覚えにくい基本的人権ではあるよね…。そうしたら今日は、「表現の自由」について一から理解できるようにしようか!
憲法21条1項の規定は?
日本国憲法では、憲法21条1項で以下のように基本的人権を規定しています。
実は憲法21条1項は、表現の自由そのものだけでなく、集会や結社の自由も規定しています。詳しい内容は割愛しますが、何か自分の意見をみんなに知ってもらいたい時、場合によってはデモや集会など注目を浴びやすい場所で発信するのも手段の一つになると思います。また、自分一人が声をあげても注目してもらえないかもしれませんが、同じ考え・志をもつ人たちと一緒になって声をあげることで世間に注目してもらいやすくなります。このように、一緒に集まって声を上げたり、同志を集めて自分の意見を発信するという集会の自由や結社の自由は、表現の自由に大きく関わってきます。そのため、憲法21条1項は集会、結社の自由を表現の自由として規定しています。
表現の自由とは?
憲法21条1項に規定される表現の自由とは、「自分の考えている意見や立場を公権力に調べられたり規制されることなく表明する権利」を言います。
なぜ表現の自由が基本的人権の保障に不可欠かというと、①言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な意義(自己実現の価値)と、②言論活動によって国民が政治的意思形成に参加するという社会的な意義(自己統治の価値)という2つの理由があるためです。
また、憲法21条の表現の自由は、知る権利も含まれているとします。表現の自由とは、自分が一方的に意見を発信する自由だけでなく、情報のコミュニケーションの自由という双方向のやり取りの自由を意味しています。そのため、マスメディア(新聞社やテレビなどマスコミのこと)や個人が、国家の持つ情報を請求する権利などが憲法21条から導かれるとされます。
知る権利には、①情報の受領を侵害されない権利と、②情報の開示を請求する権利という2つの性質があります。①の情報の受領を侵害されない権利は、憲法21条1項によって直接的に保障されるとされますが、②の情報の開示請求については、具体的な権利として保障されるためには法律や条例などの立法が必要とされます。
イメージとしては、公務員試験の成績開示が分かりやすいかと思います。各自治体のHPなどを見ると、成績開示を行っている自治体もありますが、行っていない自治体もあります。つまり②の情報の開示請求については、具体的な権利ではないため、各公共団体で情報開示制度がない限り②の権利を保障する必要がないためです。
表現の自由の制限
個人の尊厳を確保するために必要不可欠な表現の自由ですが、無制限ではありません(公共の福祉による制限)。なぜなら、いくら表現の自由があるからと言っても他人を誹謗中傷したり、社会的に好ましくない場所、方法で自身の意見を発信すると、別の人に迷惑が掛かってしまうことがあるためです。
そこで学説では、「二重の基準論」を用いてどのような表現が規制されても違憲とならないかを検討しています。「二重の基準論」とは、精神的自由を規制する立法の合憲性は、経済的自由を規制する立法よりも厳しい基準で審査されなければならないという考え方になります。
なぜ同じ基本的人権にも関わらず精神的自由と経済的自由で審査基準が異なるかと言うと、精神的自由は一度侵害されてしまうと、国民の力によって元通りの状態に戻すことが困難になるためです。一方で、経済的自由は一度侵害されたとしても、精神的自由が損なわれていなければ議会で国民の手によって戻すことも可能です。また、経済的自由の規制については、専門的な事項が多く、裁判所が判断するにも困難な面もあるため、立法府の判断が尊重されるためです。
表現の自由の違憲審査基準
表現の自由は、精神的自由に含まれます。そこで裁判所は表現の自由を規制する立法の合憲性について厳しい基準を用いて審査することとなります。精神的自由を違憲審査基準は通説と裁判所で意見が異なる部分があるため理解するのは難しいですが、表現の自由に関して、①表現の内容自体に規制をかけた立法と②表現の時・場所・方法という内容以外に対する規制をかけた立法で合憲性の判断基準が異なります。
まず、①の表現の自由自体への規制の審査基準ですが、通説では「煽動」を処罰する法規については「明白かつ現在の危険」の基準を適用するべきとしています。また、性表現や名誉棄損表現には「定義づけ衡量」など、厳格な基準を用いるべきとしています。しかしながら、判例では「明白かつ現在の危険」の基準を用いていなかったり、「定義づけ衡量」も不十分であるなど、通説と判例では異なっています。
一方で、規制自体はしょうがないとしても、国民の表現の自由を最大限保障するために、時と場所によってはその内容でも認めてあげるべきです。例えば、渋谷のスクランブル交差点で届け出なしでデモをするのはもちろん規制されるべきですが、手続きを踏んだデモなどは認められるべきです。そこで②の表現の内容以外に対する規制の審査基準として、通説では「LRAの基準」(より制限的でない他の選びうる手段の基準)を用いて、最大限表現の自由を認めてあげるべきとしています。しかしながら、判例では合理的関連性の基準を用いており、通説と判例では差異が生じています。