憲法の規定する生存権って一体何?-公務員試験憲法を分かりやすく
最近よく憲法の講義で「生存権」という用語がよく出てくるのですが、人々が生きていく権利を与えているってことでしょうか?
確かに生存権は人々が生きる権利なのだけど、日本国憲法では、ただ生存を保障するだけではなくて、健康で文化的な最低限度の生活という最低ラインは必ず国は保障しましょうという社会権的な規定になっているよ。生存権については時々出題されるので、今日はしっかりと理解できるようにしようか。
社会権とは?
そもそも生存権は、福祉国家的思想に基づいて、社会的・経済的弱者を保護するために保障されるに至った社会権の一種になります。社会権とは、国家に干渉されない自由(国家からの自由)を訴える自由権とは異なり、より良い環境で生活をするために国家に改善を求める権利(国家による自由)になります。日本国憲法では、社会権は大きく以下の4つがあります。
日本国憲法では、社会権に関する規定として①生存権(25条)、②教育を受ける権利(26条)、③勤労の権利(27条)、④労働基本権(28条)があります。ただし、例えば②の26条教育を受ける権利のように、社会権的性質だけでなく、教育内容について干渉されないという自由権的性質を持つものもあります。
憲法25条生存権とは?
今回は社会権の中でも生存権について見ていきたいと思います。日本国憲法には、25条で以下のように生存権を規定しています。
25条1項は、生存権という国民の権利を宣言したものであるとされています。そして2項で、生存権保障のための国の責務を定めているとするのが通説です。
生存権の法的性質
憲法25条1項の規定ですが、ここで問題になるのが生存権の法的性質になります。つまり、25条1項の規定が、国が国民の生存権を保障してくれない時、25条1項に基づいて訴えることができるのかどうかという問題です。25条1項の捉え方として、公務員試験で出題される学説は以下のように大きく3つあります。
まず一つ目は、プログラム規定説と呼ばれる考え方です。これは「憲法25条は国民の生存を国が確保すべき政治的・道義的目標を定めただけで、具体的な権利は定めたものではないという考え方」になります。そのため、生存権を保障するための法律がない状態で「国の対応はおかしい!」と違憲確認訴訟を起こすこともできませんし、違憲の根拠にもなりません。なぜなら、25条の規定は国の責務を宣言しただけで、法的義務はないためです。
次に二つ目は、抽象的権利説と呼ばれる考え方です。これは「生存権は直接25条に基づき訴えを起こせず、生存権を具体化する法律があって初めて訴えを起こせるという考え方」になります。これもプログラム規定説と同様に、生存権に関する法律がない状態で違憲確認訴訟を起こすことはできません。しかし、プログラム規定説とは異なり、25条は政治的・道義的目標を定めているのではなく、生存権は国民の権利であることを規定しています。そのため、具体的な法律や国家行為に対しては違憲かどうか判断する際の根拠として25条をつかうことができます。
三つ目は、具体的権利説と呼ばれる考え方です。これは「憲法25条は生存権の内容を具体化する法律がなくても直接25条に基づき訴えを起こせるという考え方」になります。そのため、抽象的権利説と同様に具体的な法律や国家行為に対して違憲かどうかを判断する根拠になるのはもちろんのこと、具体的な法律がなくとも違憲確認訴訟を行うことができるという点で異なります。
どの考えが通説であるかは国によって異なりますが、日本の場合は二つ目の抽象的権利説が通説であるとされています。